PICCSメンバー

理事:伊藤 潤一

2002年以降、一貫してヘッジファンドにて日本株式のロング・ショート戦略に従事。それ以前は、米系のゴールドマン・サックスやモルガン・スタンレーで同じく日本株式や世界分散投資を担当。93年に東京大学教育学部卒業。

金融業界の最前線に25年身を起いている中で、日本の金融業界の地盤沈下を肌身で感じ、今、この我々の世代が何かを若い世代に伝えていかないと、ニューヨークやロンドンにキャッチアップするどころか、シンガポール、香港、上海にも置いていかれると危惧している。また、一般論として、金融の知識は日常生活及び人生において活かせる局面が今後はより増加すると考えており、それ故に金融リテラシーの向上は重要なテーマになるとみている。そして、いつの時代も分野と分野の共通集合のエリアにはその将来性が嘱望されているにもかかわらず、なかなか進化が進まなかった。今であれば、金融とテクノロジーが重なる分野。ここは、幼少期や青年期から子どもの興味を引き出す教育が必要と考える。一方で、世界中のどこの人とも自分らしく振舞い、しっかりディベートでき、影響を与えることのできる日本発のグローバル人材をより多く作りだす為の教育作りにも非常に興味がある。その為には、グループで明確な答えのない問題に取り組むようなアプローチは不可欠。

副理事:落合 陽一

筑波大学准教授。メディア・アーティスト、VRC理事。ピクシーダストCEO。筑波大学でメディア芸術を学び、東京大学で学際情報学の博士号を取得 (学際情報学府初の早期修了者)。World Technology Award 2015、世界的なメディアアート賞であるアルスエレクトロニカ賞受賞など、国内外で受賞歴 多数。

自身のキャリアとしての研究者・アーティスト・経営者として生きてきた中で、周囲の大学研究者や職業芸術家に大きく不足している能力を見つけた。それはテクノロジーの進化に立脚しながら起こるであろう未来のことに価格をつける能力である。この能力は研究者にとっての予算獲得や社会実装、 アーティストやクリエーターにとってのプラニング能力やコンテンツマネジメント能力につながる。そういった、工学的観点と投資的観点を習得することが、サステーナブルな文化活動を続ける上で必要不可欠である。国が大きく成長した時代は、国が助成金投資を行い、それを享受することで研究者や芸 術家はそういった観点なく生活することができた。少子高齢化社会と言われる日本にとってこれから先は違う。我々はテクノロジーによるイノベーションとその投資回収の視点をあらゆる業態で持たないといけない。それには幼少期や青年期における工学的観点と投資的観点を習得する教育が不可欠である。

副理事:太田 雄貴

日本フェンシング協会会長および国際フェンシング連盟理事。小学校3年生からフェンシングを始め、小、中学共に全国大会を連覇。京都平安高校時代には史上初のインターハイ3連覇を達成し、高校2年の時には全日本選手権で優勝。2008年の北京オリンピックでは男子フルーレ個人に出場。日本フェンシング史上初の五輪メダルとなる銀メダルを獲得。2012年のロンドン五輪でも、男子フルーレ団体戦では劇的な勝利を積み重ね、日本史上初となる団体銀メダルを獲得。

フェンシング競技を通して学んだ、戦略、戦術、チームワーク、リーダーシップ、をこれからの世代にあった形で伝えていく。

国際舞台で培った、国際社会で活躍する方法も伝えていきたい。また、フェンシングを発展させていく事で、他の競技団体のロールモデルになり、全て のスポーツ団体の発展に繋げていきたい。

監事:牧野 靖(税理士)

慶應義塾大学理工学部機械工学科卒業。現在、税理士法人牧野会計の代表社員税理士として中小企業の税務サポートを行うと同時に株式会社牧野コンサルティングの代表として中小企業の資金繰りや社長のヴィジョン実現の為の経営サポートに従事。また複数の中小企業の社外取締役、監査役、監事としても活動中している。

監事:上杉 昌隆(弁護士)

早稲田大学法学部卒業。複数の法律事務所で弁護士として活躍。現在は桜田通り総合法律事務所 共同経営者・シニアパートナー。デジタルアーツ、フルキャストHD、Aiming、セレス等、多数の上場企業の監査役も務めている。

監事:村崎 大輔(CTO)

エンジニア。2003年に情報処理振興事業協会 (IPA) 主催の“突出したIT人材の発掘と育成”を目的とした未踏ソフトウェア創造事業(未踏ユース)にてクリエイターとして採択される。2009年に東京大学大学院情報理工学系研究科創造情報学専攻の一期生として博士(情報理工学)を取得し、独立行政法人産業技術総合研究所で特別研究員(ポスドク)を務める。その後大手ソフトウェア会社のサイボウズで新規クラウドサービスの開発に従事し、フルスタックエンジニアとしての経験を積んだ後にスタートアップ企業のRettyに転職。マネタイズの柱となる新規事業の立ち上げにゼロから主要エンジニアとして参画した。2016年にフリーランスとして独立。